一定要解放台湾

50年前になりますが、当時私は鍼灸師として武漢市の湖北中医学院で中医学の研修を受けていました。武漢市は湖北省の東部にあり、揚子江(長江)とその支流で漢江の合流するところにあります。湖が多く、特に武漢大学のキャンパスも湖があり最高のロケーションでした。最近では武漢が新型コロナウイルスの発生源として世界中から注目されました。

当時25歳の私でも武漢市の夏の暑さには困りました。連日35度以上の暑さには苦労しました。寄宿舎にはエアコンもなく大変でした。後で知ったのですが、武漢市の隣の重慶と南京と並んで中国の三大ストーブと呼ばれていたのです。武漢市の市民から熱い夜は家の外に出てベンチのような長椅子で寝て、午前3時か4時ごろに家の中のベッドで再び寝ていると聞いたので、私も実行して睡眠を取るようにしました。

ある日、武漢大学のキャンパスを散歩していると石に刻んだ文字がありました。

「一定要解放台湾」という標語でした。必ず台湾を解放する、という標語です。おそらく中国共産党の人民解放軍が国民党の軍隊を大陸から追い出し台湾に追い詰めたのが1949年です。そして1949年10月1日中華人民共和国を建国しました。この前後に石碑を置いたと思います。

このように中華人民共和国の建国以来、中国共産党の面子(メンツ)として、台湾の併合は国家の統一に必要な目標です。また、台湾を国として認めることは、もう一つの中国として存在することになり容認できないと思います。

今や台湾は携帯電話やノートパソコン、自動車、飛行機やゲーム機器など私たちが使用する電子機器の多くは台湾製の半導体です。これを中国は狙って台湾侵攻を企てていると言う評論家がいますが、それは違うと思っています。

1949年、蔣介石は第二次国共内戦に敗北しました。彼は首都南京を脱出し、重慶などを経て、12月に成都から飛行機で台湾へ逃れました。毛沢東の率いる中国共産党は勝利したのですか、台湾の中華民国が事実上存在する限り第二次国共内戦に勝利したことになりません。逆に蔣介石や息子の蔣経国が支配していた台湾の国民党は「大陸反攻」をスローガンにして金門島を挟んで共産党の人民解放軍と対峙していました。

毛沢東以来、中国共産党のメンツにかけて「台湾解放」を放棄することはありません。

一方で米国のトランプ大統領は「一つの中国」政策のもとで、中国による台湾への武力侵攻についての対応を明らかにしない「曖昧戦略」を堅持しています。またアンケートでは台湾の人々の半数以上は中国の武力侵攻はないと思っています。その理由は台湾人と大陸の人との婚姻が多くなった、また台湾海峡は大陸と140キロから180キロ離れており、武力侵攻は不可能とみています。大陸との貿易総額が50パーセントを超えている、との理由からです。

安倍前首相と高市首相は「台湾有事は日本有事」ということで沖縄の与那国島・石垣島のミサイル基地建設などは「台湾有事論」をうまく利用しています。

台湾人以上に台湾を心配する日本政府の姿は滑稽に思えます。

しかし中国共産党が「覇権主義」を捨てない限り、わが国の防衛力を高めるためには必要なことです。

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